私は死ぬことが一番怖い

私は死ぬことが一番怖い
戯言

こんにちは、りんたろう(@rin_moneylog)です。

長文になりますし、気分を害される方もいるかもしれませんので読まなくても結構です。
(2020.10.2 一部書き直しました。)

竹内結子さんが亡くなりました。三浦さんも、芦名さんも亡くなりました。
著名人ではなくても自殺者は増えていると報道されていますね。

Yahoo!ニュースのコメント欄を見ると、みんな「理由」を探していました。
金銭問題、家族の問題、仕事、産後鬱
「理由」を探して、【死】という事実をどうにか受け止めるために。
でもそれって自分が納得したいだけでは、とも思った。
近い人にSOSを出せなかったのかとか、幸せそうなのに、うまくいってるはずなのになぜとか、
鬱の人の気持ちは鬱の人にしかわかんないとか。
関係がある人を責めたりとか、関連付けたりとか。
亡くなってもなお、押し付けられる世間の声にうんざりした。

本人にとっては何かから解放される唯一の手段で、
残されたまわりの人にとっては「絶望」するのが【死】だと思う。
何も出来なくて、理解もできなくて、納得もできない、決して抗えなくて、とっても理不尽で、
希望と絶望の両極端の意味を併せ持つのが【死】だと思う。
だから私は、自分が死ぬことも、他の人が死ぬことも怖い。一番怖い。


若かりし頃、大好きだった彼氏に振られて、この世の終わりかと思いました。
死のうかなとカミソリをもって、手首にあててみました。ちょっとだけ血が出ました。
もっといかないといけないと思ったら、とても怖くなりました。
それ以上できませんでした。死ぬのって痛いし、怖いんだなと初めて思いました。
このカミソリをぐっと押し込む恐怖より、生きることの方が容易いなと思いました。
友達もいたけど、特に相談もせず、遺書なんてもちろん書かず
あの日、もっと確実な方法で、恐怖を感じるラインを超えていたら、
誰にも知られず、「なんで?」って言われながら死んでたのかな。
「そんなことぐらいで」って、「話聞いたのに」って生きてる人たちの勝手な解釈の中で。

それから私の死生観はきっと変わったんだと思います。
メンヘラさんが大嫌いになりました。
死にたいよーと泣きついてくる人に「死ねば?」と言い放ってきました。
メンヘラさんの死にたいは、
「私が死んだらあなた悲しいでしょ?」からの
「悲しいよー!死ぬなんて言わないでよー!」まで
決まり切った台本の茶番に感じてしまうから。
【死ぬ】ということは、自分や他人を試す行為に使うようなものじゃないってことに気付いたから。

でも、私の親友はメンヘラです。メンヘラではないか。
まーまー病んでます。メンタルも肉体もなかなかの貧弱です。
でも大好きな大切な親友です。
私がしんどい時、彼女がしんどい時、とんでもなく楽しい時、たくさんの時間を共有してきて
もうすぐ20年ぐらいの付き合いです。
分かりあいたくてケンカしたり、独りよがりじゃなくて、二人で築いてきた関係だった。
彼女もそう思っている。今も続く関係を思えば、それは間違いない。

ある時、とくに意図はなく1、2ヶ月連絡を取ってない時があって
ふと、遊ぼうよーって連絡した時は、彼女が退院直後でした。
薬とアルコールを大量に飲んで、病院に運ばれたそうです。

生きていたし後遺症とかもなかったので、連絡は取れて話すこともできたけど
彼女からのSOSは確実に受け取っていると思ってたのに
話を聞いてるだけのこともあるし、出来そうだったらアドバイスしてみたり
うまくやれていると、彼女を理解できていると自負していたのに、このざまです。
私が出来ていたことと言えば、「死のうと思ったけど死ねなかったわ」という
彼女の事後報告を聞くだけだった。無力。ただただ無力。



私は平々凡々に平均てきな人生を送ってきました。
それに比べて、彼女の身に起こってきたことはもうドラマの世界のようなことばかり。

自殺未遂後、一度聞いたことがあるんですよ。
「私は、両親も健在で、今のところたいしたこともなく普通に生きてきて」
「死にたいとちっとも思わないし、死にたがりは大嫌いだし」
「あなたが経験している悲しみも、私には実感がない」
「それなのに、最もらしくアドバイスしてみたり、なんだそれー!って大笑いしてみたり」
「あなたにとってはキツイ事も言ってると思うし、なんで一緒にいるの?」と。

「私の悲しみを理解して、一緒に泣いてほしいとは思ってないのかも。」
「理解するなんて誰にも無理だろうし。そんな悲しい体験をしてほしくもないし。」
「あなたに笑い飛ばされて、私も泣きながら笑って、それで救われてる方が大きい」と。

今思うと、この会話で救われたのはむしろ私の方だったと思うけど
当時は、彼女にとっては私みたいな人が必要なんだ!と思ってしまった。
私がいれば彼女は死なないと思った。いろんなことを乗り越えていけると思った。
もうきっと自殺したりしないし大丈夫だと、理解した気になって、驕っていた。
傲慢ですよね。

てことに、今回の自殺報道で気づきました。

彼女にまた【死ぬわ】という瞬間が訪れたとして、
私が知るのは死んだ後か、生き残った彼女の事後報告だろう。
きっとそれは変えられない。
生きたいと思っているから、悩みを相談されるのであって、
たまたま話をするのが私なだけであって、死ぬときに必要なのは私じゃない。

人が自ら死のうとする時、
その原因も、経緯も、その瞬間の思いも、他人が入り込む余地はない。
思い止まるとしても、本人の気持ち次第で、他人が関与なんて出来ない。
まわりの人が出来ることは、
生きているときに関わることと、死んでしまった後も生きていくことだけだ。

首にかけている紐を、手首に置かれたカミソリを、大量の薬を持つ腕を、
踏切の手前で手をつかむことができるなんて、ものすごい奇跡的なタイミングでしかない。
死ぬ前にわざわざ連絡なんてしてくれないんだよ。
だから家族でも、親友でも、その瞬間に出来ることなんてない。
そもそも立ち会うことすらできないんだから。


あーまとまらず長くなってしまいましたーーーーー
私の考えを強要したいわけではないんです。
私は今のところ死にたくないし、どちらかというと残される側の人になると思います。

残された人は「もっと何か出来たはずだ」と自分を責めないでください。
誰も何も、正解なんてわからないから。
死にたい人は、引きずり込まれないでください。
死の直前には「自分」しかいません。あなたを止めれるのはあなただけです。

(更新)なんか引きとめるのは違うな。自分に引き止める力がないってわかってる。
でも死なないでほしい。だって悲しいから。

人と人が関わりあえるのは、生きているうちだけです。
自殺でも、事故でも、病気でも、突然会えなくなってしまうその日まで
たくさん笑って、たくさん泣いて、くだらない話をして、
そうゆう時間がずっと続くことを願っています。

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